北区│01-52

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01-53│北区

925

大光院趾

北区紫野(紫野高校グラウンド南側)

Profile

【924と同じ石碑】《戦国》

大光院は大徳寺の塔頭一つである。豊臣秀吉の弟の大和郡山

城主・豊臣秀長は没して大光院と号す。豊臣秀長の養子・豊臣

秀保が古渓宗陳を請じて、大和郡山に大光院を創建する。江

戸時代の元和年中に藤堂高虎が大光院を金龍院の南に移し、

昭和二十九年に現在地の龍光院の南に移転する。この地は廃寺

となった大光院のあった場所である。

豊臣秀保 1579(天正7)~1595(文禄4)年

〔戦国時代の大名で、木下弥助(三好吉房)の三男。〕

古渓宗陳 1532(天文1)~1597(慶長2)年

〔戦国時代の僧。〕