エピソード集


解説付きトランプゲーム

毎夜トランプで盛り上がったことは前にも述べました。
ゲームをするとその人の「らしさ」が出ると言いますが、その例を一つご紹介しましょう。
例の「うすのろまぬけ」をやっていたときのことです。
概して物静かな大人集団も、ひとたびゲームに入るとこれほどまで様相が変わるのかと驚きます。
「うすのろまぬけ」が何故あれだけ皆を興奮させるのでしょうか。
特にお金を賭けているわけでもないし、罰ゲームがあるわけでもないのに。
それは「うすのろまぬけ」のレッテルを貼られたくないという人間のプライドを賭けた戦いだからかもしれません。
カードを配る間の緊迫感と静けさ。プレイヤーの額をつたう汗。
カードを廻す回数とともに高まる緊張感、そして迎える狂気のクライマックス。
そんな中、ひとり冷静なプレイヤーが居ました。
ゲーム中も皆の行動を観察・分析し、対策と戦略を練るクールな男。
いわば、トランプ界のイチローと申しましょうか。
1ラウンド終わるたびに、彼の口から繰り出される解説は皆を感心させるのでした。
「やっぱりそうか、どうも僕が取れないのは両脇に強豪がいるからだね。だったら向こうの方の飴玉を狙えばいいのかもしれない。」とか
「誰かが取る瞬間って、それが隣の人だと一瞬早くわかるね。目の端に腕が動くのが見えるんだよ、でも離れている人だとわかんないね。」とか
この熱い空気の中、びっくりするほど冷静に、他人事のようにゲームを分析する彼。
他のプレーヤーは自分のことで精一杯ですから感心するばかりです。
解説ばかりではありません。
揃ったカードは膝元に伏せておき、揃わないカードだけを手に持ってプレイするとか、隣の人にカードを廻すタイミングを少し遅らせてみるとか、様々な戦略を次々と繰り出すのでした。
私はふと、24年前のことを思い出しました。
夏合宿の民宿でガラス戸を支えながら前のめりに倒れこんだ彼の姿を。
常人ならひどく慌てる状況の中、彼は冷静でした。
そのときの状況と似ているなぁ。
でも、結局ガラスは割れてしまいましたし、民宿のおばさんにもこっぴどく叱られました。
やはりそのときの状況と似ている。
今「うすのろまぬけ」の危機に立つ彼が冷静に解説する姿を前に、どうしても24年前の悲劇が思い出されて仕方ないのです。

次のエピソード
【目次へ戻る】