何かを創造することについて

商売で新しいアイデアが浮かびました。
アイデアを思いつくのは大抵 夜間です。
思いついた瞬間「これは良いアイデアだ!」と興奮します。
しかし、不思議なことに 朝目覚めると、昨夜のアイデアが実現不可能な気がするのです。
夜の間は、夢を見るような気分なのですが、朝になるととても現実的で冷めた思考に変化しています。
結局、その「良いアイデア」も何となく億劫になって尻すぼみに消滅してゆくのです。
これまでの人生で、幾度となく そういう思考変化の経路をたどってきました。

新しい事業で成功された方の話を聞くと、大抵「自分が好きなことだから」とか「趣味の延長でやってたら、いつの間にかこうなりました」とか仰ってます。
さっきの「思いついたアイデア」との違いは何でしょう?
これは紛れもなく「ぶれない気持」かどうかだと思います。
途中で自信が無くなっても やりきってしまうこと。
または、他人に何と言われようと、自分の考えたことを信じること。
やる前から「やっぱりダメだろう」と思わないこと。

そんなことを考えながら、とりあえず、今思いついたことを形にしてみようと思う昨今なのです。

自分で意識していないことを他人は思った以上に見ている。しかし、自分が意識していることは、思ったほど気にしていない。

自分は「あがり症」だと思います。
大勢の人前でパフォーマンスするのは苦手です。
クラシックギターの発表会が半年に一回あり、当日から遡って1カ月はそのことで頭が占領されました。
「うまく弾けなかったら恥ずかしい」
「演奏途中で頭の中が真っ白になったらどうしよう」
そんなことばかり考えてしまいます。
実際、そんな弱気だから本番では妙に緊張してしまい、ミスをしてしまうこともありました。
そして、うまく発表できなかったときは、発表会後の打ち上げの時も心が沈んでしまいます。
そんなことを繰り返しているうちに、ある日ふと気が付きました。
周りの人は、自分のことしか考えてないし、人の演奏なんて気にしていないのです。
気にしているのは自分自身だけなんだと思いました。
それからは、ふっと気持ちが楽になりました。
失敗しようが、途中で弾けなくなろうが、「忘れました~ごめんなさい!」で済むことです。
だから、本番で失敗しても、戻って弾きなおしません。
平気でどんどん流してゆきます。
なんだ、開き直るとこんなに楽なんだ・・・

人が見ているのはそんなことではなく、誰かの演奏中におしゃべりをしていたり、
ホールの片隅でギターの練習していたりすることです。
結局、「自分のことしか考えていない」ということが過ちの根源なんですね。

苦しいときは目標を見失っている。あれこれ悩むより、目標を明確にすることが解決の早道。

机の上を整理整頓悩んでいるときは、どうすれば良いか分からないからなので、当たり前のことです。
悩みを解決する直接的な方法を見つけるのはかなり難しいと思います。
でも、「こうなれば良いなぁ」というイメージぐらいは浮かびます。
そして、そうなるためには「どうすれば良いのか?」これが難問。
一足飛びに解決する方法は、思いついたにせよ 大抵ろくなことじゃありません。
だから、目標をずっと身近なところまで下げて行って、今できる範囲のことから始めます。
それができたら、次の小さな目標を設定する。
その繰り返しじゃないでしょうか。
言うは易し、行うは難し・・・ (-_-)ウーム
とりあえず、机の整理整頓から始めます。

人の行動には必ず意味がある。だが、その意味はその人の立場になって考えないと理解できない。

前回の話題に出た「反面教師」について、ちょっと突っ込んで考察してみます。
ひとのやることで「何でそうするんだ?」と思うことがよくあります。
でも、自分では理解できない他人の行動は「わからん奴やなぁ、ああならんとこ」で片づけます。
そうしないと、ストレスが溜まるからです。
その瞬間には、不思議に思ったり、腹が立ったり、可笑しかったりするのですが、まっいいかってことで流します。
昔、取引先の社長さんに教えてもらったことがありました。
「人の行動を、その人はそういう人なんだということで片付けずに、『Why?』と思いなさい」
何年も前に聞いた言葉ですが、その言葉は ずっと心に残っています。
今になって思うのですが、自分の立場でいくら「Why?」と考えてもわからないのです。
行動には、その人の立場や、おいたち、環境など様々な条件が絡み合っているからです。
やった本人は深く考えていないでしょうが、そこには深~い本音が潜んでいるのでは?
逆にいえば、その人は私のことを「勘の悪い奴やなぁ!」と思っているかもしれません。

十人十色。ひとは想像通りに行動しない。

自分ならこうするのに、なんでそうなるの?
自分の常識と他人の常識は違うのだとつくづく思います。
でも、逆に考えて、世の中すべての人が自分と同じ考え方で生活しているとしたら、それはそれでかなり恐ろしいです。
自分の常識が世界の常識だという自信なんてありません。
思いもしない他人の反応に、救われたり、感動したりすることも度々ありますから。
周りの人は、みんな先生。
見習いたい人もいれば、反面教師もいて、いろんなことを教えてもらっています。